この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
東の新別府
日本は世界有数の火山国、従って温泉が至るところに湧出する。就中、伊豆は湯の国と称えられるだけに、行くところとして湯の香のせぬところはない。富士の火脈は延々南に走って伊豆半島に温泉郷を敷き、海を渡って遠く大島の三原山にその余ぜいを洩らしている。函嶺七湯を先駆として、湯河原、伊豆山、熱海、吉奈、土肥、長岡、修善寺、湯ヶ島、船原、嵯峨澤、伊東、河津、蓮台寺等袖を連ねて二十余箇所もある。伊東温泉はその中央部に介在して、海浜に近く伊豆の最も東端にある。伊東の名もこれによるのであろう。
日本には温泉が多い。伊豆には温泉が多い。しかし、伊東くらい湧出量の所はあるまい。山と海との勝景を併せ占めた所はあるまい。熱海には海と山とがある。しかも、一日一回の間欠泉であった。海は浪荒くして、遊浴は不可能である。伊豆山は湯瀧をかけて湯量を誇った。しかも、一か所に過ぎぬ。そして山間の僻陬は海を知らなかった。伊東は所在湧き出ぬ所はなく、現在四百数十か所から昼夜間断なく湧出し、なお自然の湯の池、湯の川は常に白気をあげて地下の活力を誇っている。伊東は実に湯の上の仙寛である。伊東は東方に大なる袖ケ浦の碧海を擁して、濱浅く、浪また静かに幼婦の遊泳にも適している。伊東は海を有する事、湯の豊富なることに於いて、九州の別府温泉に擬せられて、東の別府と言われている。多くの温泉は山の所である。従って、夏の所である。伊東は三方山を負うて温暖、雪を知らない。柑橘類の巨木は南国の表徴である。伊東は避寒の所である。かくして伊東は夏の所であり、あわせて冬の所である。
松崎天民は、伊東の地を踏みたることなしと言いながら、呼吸器病者の巣窟だと言った。これ食らわずして饅頭の荷が気を説くと同じである。事実が証明している。呼吸器病者に寸効なきのみか、かえって病勢を促進するの泉質は、これらの病者を見ず、熱海のような不快を感ずることがないのである。