この文章は、昭和5年に刊行された「全国遊廓案内」の内容です。
又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
千住町遊廓
千手町遊廓は東京府南足立郡千住町、字千住四丁目にあって、東京市電車は北千住終点で下車する。市電は七銭。大橋から先は郊外料三銭である。終点から遊廓迄は西北へ約五丁位なもの。
昔奥州街道口の国道に沿うた、各旅館では、飯盛女を大勢置いたのが濫觴で、大正八~九年頃迄は、宿場として昔のままの古風な「湯屋式」の店構えであって、同業者もたった十三軒きりだった。
ところで大正十年三月に現在の指定地へ移転するとまもなく、あの大震災に逢ったが、幸いにして類焼を免れたので、吉原、洲崎の客がどしどしとここへ流れ込み、急に異常な発達を遂げた。
現在では貸座敷が五十三軒に殖え、娼妓も三百三十人になっている。福島県、栃木県の女が多い。店は写真店で、費用も制度もほとんど新宿と変わらない。ただ新宿の様な大店が無いだけだ。居稼ぎで、時間廻し制で、費用は御定まり一時間遊びが一円五十銭が組合の規定。台は付かない。他に甲乙の種類があって、甲は本部屋で半夜十二時迄が八円、乙は廻し部屋で半夜十二時迄が五円である。十二時以降からの一泊もやはり同値だ。
(税共)これで台が付かないのだから決して安い方ではない。勿論廻しは取るのだ。通し物には楼主が五割を掛けて請求する事になっている。芸妓は旧町から呼ぶので車賃が五十銭、(大小一組)である。玉代は一組、二時間一座敷一円五十銭だ。太鼓が入るので必ず一組と定まっている。