この文章は、昭和7年に刊行された「女魔の怪窟」の内容です。
旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
怪奇妖魔船
世にも珍しき妖魔船があればあるもの、然もそれが帝都の中央を流るる隅田川上に出没すると聞いたら、読者諸君は定めて一驚を喫するであろう。その昔、新橋や柳橋の芸者共が、酔客と船宿から屋形船に乗って、両国や向島の付近に雪見花見と洒落込んだもの。近頃は櫻の名所で名ある向島も開けきって、皆目、堤の櫻も枯れ果ててしまったのみか、その付近一帯に人家が並び建てられて、ほとんど俗化し、その面影だも残さなくなった。その代わり、花柳界は著しく進出を見せ、風流の客は跡を絶った代わりに、河上でまでも魔物の出現という、物騒な昭和時代を見るに至ったのも、世相の一端を窺うに足るであろう。
魔船の移動と暗号の使い分け
魔窟としても吉原や洲崎といったような公娼遊廓は格別、私娼としても向島の玉の井や、亀井戸の天神における魔窟は、殆ど公然といってよろしい。その筋の取り締まりも厳重ではなく、所謂、見て見ぬ振りで経営して居るか、されそれ以外の私娼窟に至っては、なかなかに取り締まりも厳しく、警察署の保安係は日夜となく密偵おさおさ怠りない。もしもつかまったら最後。そうなくとも密淫売の嫌疑とあって、取り調べられた暁には、例の勾留や科料処分、時には肝腎の営業までも停止されるといった工合。これな彼らも一策を案じての河上の妖魔船。荷物船に見せかけての日夜の移動、之にはその筋の眼も届かぬのは、あながち不思議でもあるまい。
彼れ妖魔船は、今朝は左岸に舵を降ろしたかと思うと、夕には右岸に繋留する。三日四日は付近では臭いでも嗅がれるかと見れば、忽ち機転を廻らしてズッと上流に船を向ける。
誰一人として、之が妖魔船と感付く者もあろうぞ。彼れ妖婦は芸者上がりや、ないしは不見転芸者といった種類のもので、白昼の船への出入りは、兎角人目を惹くところから、いずれも夕暮れ、人目を避けて繋留せる船に乗り込む。
しかしこれは夜間の客を相手であるが、中には昼間が却って人目にかからぬといって、俗に昼遊びと洒落る客もある。彼等、船主と妖魔との間には、あらかじめ暗号電話の打合せとがあって、不意の客とあれば、すぐさま近所の酒屋とか、煙草店の電話を借りて指定席に電話をかける。その電話をかけるにも誰一人だに感づかれぬように、一寸だに油断はない。
「浪速の何番ですか。どうかお近くの伊東さんにおこづけを願います。こちらは向島の中村ですが、只今急用が出来ましたので、直ぐ様お伺い致しますが、差し支えはありませんか」
これが即ち、彼等の暗号であり符調である。こちらから伺うというのは反対にこちらへ来てくれという事である。彼等は直ぐにそれと合点して、たちまち自動車で予定の繋留場所にやって来る。然らば移動繁き彼れ妖魔船の、所在がそう直ぐにも彼らに知れるものであるかとの疑問が起こる。そこは唯一の目標がある。こわ独り妖魔に対するのみではなく、馴染みの客への目標にしてあるが、それがまた、頗る奇異に感ずる。
如才なき所在の目標
この目標というのが昼と夜で違っている。太陽が出て日の没する迄は、必ず赤い毛布や白い毛布を一杯に拡げて、棹にかけて船の上部に乾して置く。今日は赤毛布を乾すかと思えば、明日は白毛布といった風に、違うところは、何処迄も人目にそれと怪しまれぬ手段、出入の者はまず河上に浮かぶ船の上部に乾してある。毛布を唯一の目標として尋ねる。
夜は乾物では見えぬによって、青い硝子箱のランプを使う。これなら彼の船かと直ぐに判じてくれるのも道理。何を言うにも移動限りなき船の事とて、翌朝妖魔の帰家する際に、こんばんはどこに繋船するとか、明日はどの辺にいるとちゃんと行く先を注意しておく。中には馴染みの客で芸者や魔窟の女を連れ込んで来ることもある。いずれにしても、警戒は厳重であるによって、フリに(だれの紹介もなく初めて来る客)行ったとて、空つとぼけて決して船に通してはくれない。
お好みの女と酒肴の注文
船中には酒もあれば魚もあり、殊に注文によって活きた川魚を料理して出すというわけで、至って便利に出来ているが、何せ天魔船だけに不便の点も少なくは無い。そこは客のほうでも覚悟の上での変わった遊び、唄ったり騒いだりして揚気の真似は禁物で、どこまでも極内でなければ、いつ何時、水上署の巡邏船などに、現状を発見されぬ限りもないとあって、この辺に特に注意を払っている。
陸上でも結構できる遊蕩を好んで船を撰ぶからには、決して尋常の客ではない。それだけ多くの散財を覚悟している。ところで、こちらから妖魔を呼んでくれと頼めば、まず妖魔の種類を尋ねる。芸者がよいか、玉の井あたりの私娼がよいか、又は素人染みた婦人かと問われる。何も密売をするのに全くの素人女のあろう筈はない。洗って見ればいずれも私娼常業の婦人に相違ない。だがそれを素人といっているのは、その言語風姿から挙動が全く素人らしく見せかけるからであり、客の方から見ても、そう思わるる状態にあるからである。彼らは常にこれらの私娼と気脈を通じて、客の溶融に応じて嗜好する私娼を呼ぶといった風。
そして料理代は別として、売淫によっての収入は、殆ど二一天作である。勿論、連れ込みの客に対しては、座料といって一人当たり三円、相手の分を入れれば六円となる。これで二組位の客が来る。料理代を入れれば一座敷十円内外の収益、中には夜の七時頃来て十時頃帰る客もあれば、十時頃から翌朝迄泊り込みの客もあり、真昼間にやって来る客もあって、想ったより繁盛しているのはおかしい様なものだ。
機敏にも乗り込んで妖婦呼び寄せの交渉
我ら探検隊の一人は、浅草の観世音に参拝の途端、一寸した事から某料理店で隣の客同志が、今夜は例の船へ遊びに行こうじゃないかという話を、聞き込んだ事から端緒を得て、いよいよ探検をすることに決心した。だが困った事には、これという紹介者がないのに閉口した。
そこで知恵を絞った結果、かねて知り合いの仲であった某船頭に事情を打ち明け、妖魔船に伝手を求めた。某船頭は二日置き、三日置きに隅田川を往行する荷送船であった。彼もこの妖魔船の主とは知り合いの仲ではないが、同じ水の上の稼業、記者に教われて成程かと首肯した位。しかしその往行する度毎に、その妖魔船にかいごうする。かいごうする毎に晩になったとか、お早うとか、また風ですな、なぞと挨拶するは、彼ら社会の常である。同じ水上の生活という意味において、ここ五~六日中に何とか渡りをつけてみようという事であった。
「旦那、私は名詞なんかは持たないから、旦那がちょうど私の姓名を書いてください。そして旦那を紹介する文句を書いてくれれば、私が認印を押しましょう。それを持って行ってください。旦那の事を旨く吹つ込んで置きますから」
ということであった。記者もそれなら大丈夫だといって、喜んで五~六日経ってから、件の船の繋留先を探り当て、何気なしに船側に足を止めた。船中には四十前後の年増の顔が見える。
「ネーさんちょっと話したいことがあるのだが、ここまで来てくれまいかした」
とやっと見た。すると彼れ年増は何御用でと言いつつ、船を離れて記者の前に足を運んだ。記者は彼女の耳に近く口をあてて、
「実は毎日この川を通る船頭の六さんから、これこの通り書付を貰ってきたのだが、ちと風流の遊びをしてみたいので、わざわざ遠方から訪ねたわけだ。何事も秘密は承知、どうか安心して遊ばして貰いたい」
と話し込むと、海山千年の彼れ年増、どこまでも白を切って
「わたしは一向存じませんが、親方に伺ってみましょうから、暫くお待ち下さい」
と言って再び船に戻った。彼は船の紹介の書付を親方に示したものと見え、かねて船頭の六さんが親方に会うて記者のことを話居ったのを思い出してか、年増に向かって、
「この方はモー判っているので、心配するには及ばないのだから、ともかくこちらへ通すがよい」
という命令であった。彼女は間も無く記者のところに来て、
「只今は失礼しました。伺ってみましたら、親方がお目に掛かりますとの事故、どうかこちらへ」
との返事に、口には言わねど腹の中ではこれはしめたと計り、記者も連れらるるままに船中に入った。親方に会うて絶対秘密を守る誓言を冒頭に、それより淫婦招聘の交渉という所まで漕ぎ付けた。
首尾よく目的を果たして下航
望んだのは素人婦という注文。陸上とは違うて、彼女の来る迄には殆ど二時間余りを費やした。この間、酒肴を命じて独酌を試みつついると、やがてやって来た妖魔、いかにも素人としか見えなかった。というのは、彼女は今流行の縞の銘仙の羽織と、同じ袷せに、女優結髪といった扮装、記者の前に坐して、両手を前に
「今晩は失礼致します」
といかにも丁寧な挨拶振り。少しもおてんば娘には見えない。そのうちに例の年増が出てきて、
「旦那、この娘はほんとうの素人で、ただ恥ずかしがっているので、旦那の御機嫌などをみることが極へたですから、どうか何事も教育してやってください。」
さすがは年増だ。「教育してやって下さい」はよく出来た、ちょっと見る処ではまったくの素人娘で、教育してやらねば何も判るまいと思わせるのも無理からぬこと、記者は彼女に向かって、
「ネーさん、貴方は今聞くところ、いかにも素人のようだが、しかし、お酌位は出来るだろう。お酌をして貰った代わり、私が十二分に教育して上げましょうし、また、面白い世間話もしてあげましょう。」
と口を切った。すると彼女は微笑を漏らしながら一揖する。いわゆる浅酌低唱しながら、舟の内部の有様から魔窟稼業の概要に付いて、それとなく見たり聞いたりしては、いつしか話を他にそらす。もしや記者がこの社会の探偵に入り込んだとでも嗅ぎ込まれようものなら、それこそ袋叩きにされるか、ないしは、このまま河中に放り込んでしまわれるか知れぬ。思えばこの危険を冒しての探検、いかに酔うたからとて本性は現すまいぞと、堅く決心もし、用心もまた怠らばこそ、ところがこっちもこっちだが、向こう様もその通り、彼女はどこまでも素人風に見せかけて、少しでも尻尾を出さない。酒を勧めると、「わたしは無丁法で」といって一酌だにせぬ。それではこの菓子はと進めても、口にもせぬといった有様で、ただただ、遠慮勝の有様。こうして約二時間ばかりもお酌の相手をするのみであった。
しかし、彼女は玉の井辺の私娼窟や曖昧料理屋にいた女でないとしても、淫売が常習的であった事だけは、総ての点から推断し得る資料を得たのである。否、素人染みたところが多いだけに、客に対する情味もまた深いところがある。お世辞の無い代わりに真実らしきところが言語挙動の上に現れる。多くの客はまた、そこに心を動かされやすい。女に対する経験の浅い男、女にかけて甘い雄常葉、自然と気持ちに心を奪われてしまうのである。
その夜、客は連れ込みの客と、記者だけであった。そして一方の客は十一時過ぎまで遊んで、女と共に帰ったので、記者は一人でその妖魔船を買い占めた感じがあった。殊に、記者の寝室だけは簡単にも隣り間と障子をもって限界され、彼女との秘密話を他に漏れぬ様な装設もしてあるが、他は開け放して、もしも客でも来れば、例の屏風で境界をするといった都合である。それもその筈で、陸上に於ける住家の如き設備は、原則として移動を許さぬ船の、一定の場所に繋留されて、そこで料理店を経営するとか、ないしは住居するならば兎も角、あちらこちらと移動するからには、忽ちにしてその筋の眼に発見される。そこでああして極めて簡素なる設置をしてある。たまたま往航の船にそれと感付かれても、彼らはその妖魔船によって幾多の利便をあたえられる事もあるので、いずれもこれを秘密に付して敢えて言外に漏らさない。こは一に水上生活の誼みと、自ら受くる利便との二つの点から、そうされてあるものと語った。
翌朝早く、彼女は記者を残して一先船を去ったが、彼等、一度捉えた客はにがさない。次の会合は或いは陸上で、かねて待ち合わす場所も指定され、そこに落ち合っては客の金と血を絞るといった具合。紀しゃも光々たる日の出に眼を覚まし、床を出て番茶一杯を馳走され、例の年増に厚く礼を述べる。
「ネーさん、どうも愉快であった。自分も遊びという遊びはしたが、こんな面白い水上遊蕩はしたことがない。近くまたやって来るから、何分宜しく」
といってその船を出て帰路についたが、その夜の会計は既に寝につく際に年増が彼女を通じての請求に、支払ったという極めて手っ取り早いやり方。ちょうどこの点は、吉原や洲崎遊廓の慣例と同じであるが、これも無銭遊興の予防に、その処置の前手段を講ずる策戦から出たものかとも首肯された。
きても船中での妖魔船の概略、まさかに山陰道は隠岐の国における、いわゆる「沖の女郎」といった如く、妖婦を船に乗せて海上を往航しつつ通り過ぐる船客をめつけては、「遊んでいらっしゃい」と口をかける程に大ビラではないとしても、それと同じく水上の淫売的稼業、まずもって珍奇のひとつに数えねばなるまい。