この文章は、昭和6年に発行された「カフェ・女給の裏おもて」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
序
1931年の野暮男とは、カフェに遊ばない男のことを言うのである。およそ光輝ある現代に男と生まれたからには、カフェで遊ばなければ、生き甲斐がないであろう。頭が光っていようが、白髪をいただいていようが、そんなことは問題ではない。男手ある以上、遠慮なしにカフェで遊ぶがいい。そこには、現代に生きる男という男が求めている華やかなエトワスが投げ出されている。人々はこれを、無造作に拾いとればよいのだ。
本書は、このカフェ五投げ出されたエトワスを忠実に拾い集めて読者諸君の前に指し示し、電車の中で、またはサロンの中で、あるいは広場に寝転んでいてカフェに遊ぶの思いあらしめるために、それからまた諸君の最もよきカフェ遊びの手引きたり、案内者たるために生まれ出たものである。大方のご愛顧を乞う。
昭和六年初夏
著者