この文章は、昭和12年に刊行された「沖縄案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
護国寺
波上山と号し、俗に波上(ナンミン)寺と呼ぶ、真言宗第一の巨刹にして古へは王の祈願寺であった。創立の年代は判然しないが、今より五百五十年前、察度王時代の僧、頼重法印琉球に渡来して之に居り、察度の祈願寺となっていたと伝えている。尚真王代真言宗の僧、日秀上人ここに在りて布教に従事し、自ら弥陀・薬師・観音の三像を刻して堂内に安置した。寛永六年火災の為め、本堂を失ったが、本尊は免るることを得たという。今寺域に其の説教石並記念碑がある。本堂内の地蔵菩薩は元薩州川内太平寺の本尊であったが、尚円王の霊夢に入り本堂に勧請せられたとのことである。不動明王は往昔中城間切糸蒲寺に安置してあったが、同寺火災の後、後神徳寺に移され、尚貞王十七年貞享二年(皇紀2345)再び護国寺に遷された。
又、弘法大師像は延宝二年(皇紀2334)の勧請にかかわり、涅槃像及び両界曼荼羅は朝鮮画工の手に成り八相八軸は洛陽画工の筆に成るという。市内善興寺は其の末寺である。寛永十八年尚豊王、神慶寺の住持頼慶和尚を本土に遣わして、垂迹の三神を求めしむ。その時祝部天願筑親雲上、和尚に随って鹿児島に到り、佐藤太夫に就きて神道を学び帰国して権現堂を再興したという。昭和七年改築して旧観を改むるに至った。