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ノスタルジック解説ブログ

那覇市の名所旧跡・ベッテルハイム記念碑【昭和12年「沖縄案内」より】

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那覇市の名所旧跡・ベッテルハイム記念碑【昭和12年「沖縄案内」より】

この文章は、昭和12年に刊行された「沖縄案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


ベッテルハイム記念碑

 護国寺入口にあり。ベッテルハイムはハンガリーの人でイタリアに於いて医学博士の学位を得、後ユダヤ教よりキリスト教に改宗し、ロンドンに渡り英国婦人を娶り、一千八百四十五年、同国海軍伝道局より他日、日本伝道の準備として派遣せられ、翌年五月、着琉護国寺を借り受け、禁錮同様の生活を続くること九年、琉球官憲の有ゆる迫害と圧迫とに耐え、挙固なる信仰を持って夫妻献身的に貧民救恤・病者施薬及び説教をなし、琉球語の聖書翻訳をなしていたが、千八百五十四年、ペルリの船に乗じて米国へ向かい、南北戦争の際、軍医となり千八百七十年(明治三年)二月、モンタナ州に於いて永眠した。享年六十九歳。

彼は波上(ナンミン)の眼鏡という綽名を以て市民に親しまれていた。石碑はメソヂスト教会宣教師、米人イー・アール・プール氏の発起に依り、大正十五年に建設せられたものである。

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