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ノスタルジック解説ブログ

明治浅草安芸人 3.少女幻影劇から女歌舞伎【昭和5年「浅草女裏譚」より】

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明治浅草安芸人 3.少女幻影劇から女歌舞伎【昭和5年「浅草女裏譚」より】

この文章は、昭和5年に刊行された「浅草女裏譚」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


第二、明治浅草安芸人

三、少女幻影劇から女歌舞伎


 これは前にちっと書きましたが、明治二十四~五年頃、江川に対抗する為に、青木というテキヤの親分が、現在の大勝館の處で、娘玉乗りを始めましたが、しかし、それは間もなく少女の幻影劇に替り、而も、それが後には女芝居に替わっていきました。

 そこで一言せねばならないのは、当時の座頭である歌扇のことです。何故なれば、彼女は浅草で生まれ、浅草で育ち、浅草で売り出したからです。

 兎に角、彼女が青井氏の少女劇に加盟すると間もなく、彼女の天才的ひらめきが、興行師である、青井氏の眼にとまり、一座の座頭となると同時に、青井家の幼女として貰われたのです。そして、幻影劇から普通の少女劇へ、少女劇から女歌舞伎へと進み、徹頭徹尾座頭として、足掛け十年近くも常打ちを為し、充分腕を磨くと同時に、可なりの人数を集めたものです。後に彼女が三崎座で破天荒な人気をとったのも、過去に於いて、こうした経緯と、修養時代とがあったからです。

 青木の玉乗りから出た女歌舞伎で、今日相当売り出している者は、決して少なくありません。例えば中村桃代の如きは、其の中でも代表的な一人です。

 それは兎に角として、当時この種の役者の品行がどうであったかと言いますに、甚だ寒心に堪えないものがあります。幹部級のものは、兎に角として、合部屋以下の連中など、殆ど売笑婦の如き態度で盛んに発展したものです。浅草芸妓が、俗に「馬の脚」とまで罵られたように、男も亦、役者買いが盛んであったから、其の誘惑が激しいのと、今一つは、彼女たちの地位が、甚だ低かった為めに従って、其の給金も安く、生活にも差し支える程でした。ですから其の当然の結果、彼女達が滔々相率い、堕落の淵に淪落したのも決して、無理とは言えません。つまり時代が彼女達を堕落の底に引きずり込んだのです。しかし、其の一面にはそれが為めに、浅草の繁昌を如何に助長したか知れません。少なくとも六区の繁昌に対し、重大なる原因を與えたものは、可弱い彼女達の力によるものと言わねばなりません。そして、其の堕落の道程は、前に述べた踊り子に於ける、それと大同小異でありましたから、ここにそれ等を再言しません。


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