大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「箱根」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。
<箱根>
箱根は足柄南偏の熄火山であって、形成は頗る雄偉である。東海の旧駅路が間を過ぎ、俗に箱根八里と云い、坂東八州の天険と称せられた山澤の間で、至るところに温泉がある。俗に七湯と云う。今は十二湯と云う。
湯元は単純泉で温度は百五十度内外。箱根郡山の東麗、早川の南岸に在って海抜三百四十三尺、当方は開豁であり、南に石垣山、石橋山を眺め、北は塔の澤の峰が峻立し、西は湯坂山が屏立している。其の麓に温泉が湧出する。金湯山早雲寺は茶屋町にあって、北条五代の墳墓は落葉の中に寂然としている。路は湯本から左右に岐れて、右が塔の沢宮ノ下に至る新道。左は蘆ノ湖、箱根宿に出る旧街道である。
塔ノ沢は塩類泉で、温度は百十六度内外、早川は此処に至ってS字形に湾曲し、玉の緒、十歳の二橋を架し、西南は湯坂山、城山が屹立し、東北の間に塔ノ峰が高く聳え、西北は杉尾山、明星ヶ嶽の山脈連互し、山勢左右によって迫り、さながら屏障をめぐらしたようである。地は全くの山中で、四面はただ山影渓声、後ろには早川の流れが次第に深谷の底に落ち山を廻って、一歩一景を生ずる趣がある。
一里半ほど行って、宮ノ下に達せんとするところ、しのぶ塚から折れて急坂を下れば、渓底に堂ヶ島がある。堂ヶ島は単純泉で温度百二十度内外、海抜七百九十尺、四面に丘陵が迫り、東北は早川の対岸に明星ヶ嶽がそびえ、白糸の瀧は其の麓に懸かり、緑樹枝を交えて日光を遮り、渓流の涼味を添えて塵埃を絶つ、風食の幽邃なること賞すべきものがある。
宮ノ下は塩類泉で温度は百三十度内外、海抜千百二十三尺、地形はやや平坦であって、明神ヶ嶽、明星ヶ嶽の山脈は川を隔てて東北に聳え、駒ヶ嶽、冠ヶ嶽、早雲山、蓬莱山は遥かに西方に並立し、鷹ノ巣山の余脈は西南から来て、東にのぼりて城山、湯坂山に連なる。東方峰の終わるとろこに相模灘を望み、西南北は郡山が囲続している。ここは箱根の中心で深谷の台地を占め、其れから蛇骨に架した八千代橋を渡って、底倉に至る。
底倉は塩類泉で温度は百六十度内外、海抜千百六十九尺、東北は明星ヶ嶽を望み、西南は蛇骨野、小涌谷に続くのである。蛇骨川は上手の方に龍の様を為し、断崖二百尺の下に流れ、終りに早川に合する。底倉から道は二つに岐れ、左は小涌谷、蘆の湯を経て箱根町に通じ、右は木賀、強羅、仙石原、姥子の各温泉に至るのである。
木賀は塩類泉で温度は百十度内外、海抜七十尺の地、早川の南岸、早雲山と二の平高原との東麓である。木賀から四丁で宮城野。宮城野は古の火口原である。仙石原は金時山の麓で、これから長尾峠、乙女峠を越えて御殿場へ出る。
強羅は木賀、宮城野から至り、硫黄泉で温度は百八十度内外、海抜二千六百尺、早雲山の麓にある。この地は近年開けた温泉場で地勢高峻、遠近の風物を一眸の中へ収め頗る絶景である。そこから右へ行くと大涌谷、姥子を経て湖尻に至る。大涌谷は俗に大地獄とも云い、箱根火山の硫気孔で、ところどころ硫臭のある蒸気を奔出し、常に轟々の響きが聞こえる。強羅から左へ行くと小涌谷、湯の花澤、蘆の湯に至る。小涌谷は俗に小地獄と云う。この地は楓、岩躑躅が多く、特に吉野から移植した萬余の櫻は花の名所と数えられ、千條の瀧は一段の風趣を添えている。
蘆の湯は海抜二千八百尺、七湯中の最も奥で、双子山の南に峙ち、駒ヶ嶽、冠ヶ嶽は西に聳え、東北は山地低下し、やや展開している。蘆ノ湖は長さ二里、幅十余町、形は瓢に似ている。半島を塔ヶ島といい離宮は毅然として湖中に聳え、遥かに富士と相対する状はまことに荘厳である。風が静かで波の穏やかな時には、芙蓉の霊峰湖面に映写して宛然倒立するようである。これを箱根の逆富士という。
湖畔の右方に箱根権現がある。箱王生長の地で、古木寒厳、幽邃の境である。箱根町は幕府時代に関所を置かれた所で、箱根町から三里余りで三島へ出る道がある。