この文章は、大正15年に刊行された「欧米新聞遍路」の内容です。
又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
アキタニア号にて
大西洋版
ノースクリフ卿が、世界の不思議な船、ヨットと呼ぶには相応しからず、。浮かべる家でもなく、アメリカ式のホテルでもない。むしろ宏大な田園の別荘だといった方が適当だといった。その45,000tのアクヰタニア号に乗って、今大西洋を横切っている。これに比べると、太平洋をヨチヨチとやって来たあの伊予丸は、なつかしくはあったが、見すぼらしい草家だった。日本にも、これ位の船は一艘はほしいとつくづく思う。
アクヰタニアに夜が明けて、波光の反射が丸窓を通して、白塗の天井にチラチラと這う。仰向いて物を思うには、静かでよい朝だ。この船の不思議の不思議は、少しも振動を感じないことだという。ほんとうにホテルの一室にあるようだ。それも紐育あたりのホテルではない。遠い田舎のホテル。やっと顔を洗って、食堂に入ろうとすると、入口にスチウワードが店を広げて、今朝のデリー・メールの大西洋版(四六四倍、二八貢)を売っている。三ペンスは米国の新聞に比べて甚だしく高いが、買わずにはいられない。船の収容人数が三千五百人。全部が買っても発行部数はこれ以上には出ない。十差伊波八百部ほど刷っている。エヂタア君はたったの一人で、小さい編集室にはタイプライターが一台あるばかり、工場にライノタイプと印刷機械が一台づつ、無線電信によるニュースの頁以外は予め印刷してあるので、さして骨は折れない。写真モア理、続き物もあり、英国名所案内もあり。それに紙質もよくて、英国式に気が利いている。無線記事に「今日のニュース」と銘打ってあるだけに、エヂタア君は夜勤に疲れて昼は昼寝だ。大西洋の真っ只中に来ても、新聞記者の生活があって、陸と陸とを繋いでいる。どこへ行っても、吾々は楽はできない。君もこの島流しは辛いだろう。多くの船客は君の苦労も知らないで、ただ一枚の新聞を買っては捨ててしまうかも知れないが、ここに同業者の一人が乗っていて、陰ながら君に同情し、君の祝福を祈っているよ。
新聞といえば米国を一歩海へ乗り出すと、その趣がガラリと変わるから面白い。この罐詰種満載の船内新聞にさえ、英国の姿がはっきりと映っているのではないか。とかく「歴史」というものを鼻にかけているらしく、それが米国への面当のようにも思われる。読者もまた落ち着いていて、ゆったりと博物館気分にひたっているらしい。試みに埋草記事を拾い読みしてみると、千四百年間埋没していた船が発掘された。古い名昼が何万弗かで誰某の手に帰した。やれ旧家の某氏が二十一人の子供を育て上げて賞金を貰った、それあの花嫁花婿は合計年齢百六十七歳なるがために、お祝いを受けたなぞ、数えたてると限りがない。
そこへいくと紐育の新聞は遮二無二、現当生活の加重を駈けずり廻っていた。まったく息づまるような新聞だった。それでも、アメリカ人自身にはそうは思えないで、あの忙しい血のたぎるような生活の中に、めまぐるしい厖大な新聞が、それ相応に慰薬を興えているのだ。古い過去を持たない、将来のことは更に考えようとしない、現在のみが新しい生命である米国から、黴臭いような、しかし手入の届いた、底光りのする英国へ渡るのに、このアクヰタニアは長い長い橋のようなもので、その中程に立って、越し方の米国の方を振り返ることも出来れば、遥かに英国を想望することも出来る。そしてそれは一枚の新聞が望遠鏡の代用をしているのである。新聞も馬鹿に出来ない。
新聞が変わったばかりではない。船全体の空気が英国臭くなって来た。「ヤー、ヤー」で感嘆に軽便にすまされていたのに、スチウワードが「イエース・サー」と重みをつけてくれる。食堂の入口には、金釦のボーイまでが整列して出迎える。第一赤や緑の靴をはいた、はね返りの女がいなくあんった。その代わりくすんだ色の服の上品な婦人が多い。気のせいか、日本人出ることが、少しの苦痛もなく、また何の遠慮もいらなくなった。煙管のらをが通ったような気持ちだ。歩け、歩け、胸一杯海気を吸って、甲板の上を、短い足を大股に開いて。