この文章は、大正15年に刊行された「趣味旅行」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
夢の間に父島へ
日輪の出没を見なくとも三度の食事を欠かさなければ、十日二十日の日取りは分かる。船室のベッドに横たわって日の光を見ず、食えば吐くと決まった運命に置かれた為に、一食も取らないで、夢うつつともつかぬ船酔いの境に彷徨する私に暦の観念の残って居よう筈がない。兎に角ボーッと響く汽笛の音と共に一瞬の休みもなく枕を震わせていたスクリューの回転がはたと止まったので、やれ嬉しやと甲板に這い上がった時には、眩しいばかりの光の強い太陽が山の端を出て、硝子のように透明な海を底まで射抜いている。ボーイに聞くと八丈島を出てから二度日が沈んで三度目の日が今出た所であるとのこと。では十日の朝はなんだろう。やがて絶食当がぞろぞろと甲板に上って来る。ハシケやボートが汽船の周囲に集まる。島司さんや課長さんのお出迎えを受け、島庁のボートに乗って先頭第一に上陸する。
「まぁ、暑かったろう。さあ湯につかりなさい。今うんと御馳走をして上げるから。」
南陽館の婆さんが率直な態度で十年の馴染みの如く迎えてくれる。海に面した二階の三室を開け放して、畳の上に大の字になった時の気持ちは何とも言われぬ。湯を浴びて船の香を洗い去ると、今まで忘れられていたお腹が急にその存在を主張し始める。八丈島を出てから四日目に飯にありついたのである。申すまでもなく初めの三杯は無意識に流し込む。次の三杯は自覚して呑み込む。後の三杯は満足して食う。之を三段食法と申すか否かはこの際問題でない。兎に角人間らしい気持ちになったから有りがたい。人間らしい気持ちに返るとそろそろ周囲の鑑札を始める。神様がご覧になったらさぞ小面憎く思われることだろう。そこで初めに小笠原島の概要を受け売りしよう。