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ノスタルジック解説ブログ

大阪の貧民窟【大正8年「簡易食と安易食」より】

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大阪の貧民窟【大正8年「簡易食と安易食」より】

この文章は、大正8年に刊行された「簡易食と安易食」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


大阪の貧民窟

 長柄住民の内で、家賃の最も少ないものが三円とある。けれどもこれは一家を構えた者のことである。この三円の家賃の内、更に別の家族を住まわせて居る。すれば、一戸の負担の実際額は二円か一円かである。けれども、それは毎月支払っていくということである。

よく他所にある日払いというのは、家住居の者にはないそうである。日払いは木賃宿住居のものにある。木賃宿住居のものの状態はどうであるか。その月の家賃も払えず、布団もないものがその碑その日の収入によって宿料を支払うべく計算上の便利から止宿するので、その名義こそ宿屋であるが、その実は日貸家屋である。日貸家具である。

で、止宿人の方は事実上の住民でも七年も一つ家に止宿して居るものもある。その居室や食器や寝具の状態は、ここにこれを書くの形容詞を列ねることを快いとせぬから、唯一言の惨憺たる後継ということで、予は読者の推察に任せる。その数二百四十と余戸、随分と多いものである。例のミミズ掘り、下駄直しの類もあり、山高の類もあるであろう。

 今宮の方では第三部に属する釜ヶ崎方面のみでも、一千余戸で三千という人員に上って居る。家賃は是れも長柄と大同小異で、寧ろ、この方面に木賃宿の方が多い。

 木賃宿は一室三畳として客室が一千六百余もある。一日の質量は二十銭(布団付)を最低として四十銭に達するものもある。住民の多くは、俗称「鮟鱇」で、其の他は飴買い・棹替、法界節もある。

 木津勘定町三、四丁目、大国町四丁目、広田神社附近、東関屋口、西関屋口にも随分と如何がわしいのが少なくない。
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