この文章は、大正9年に刊行された「別府温泉案内」の内容です。
又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
大別府温泉
年百万の浴客を吸収しつつある大別府は、今や海内無比の温泉地とし、世界の楽園なりと宣伝せらるるに至った。その理由は言うまでもなく、いたるところ無尽蔵に沸出する多種の温泉あると、土地山水の風光佳絶なるに加え、交通の便、もっとも良き等によるものとなります。
一、大別府へは陸路、豊州本線により各地に連絡交通し、海路、日向諸港と宇和島方面へ毎日、鹿児島地方へ隔日に便船あり。殊に阪神地方よりの船便は、風景佳絶なる瀬戸内海航路により毎日直航船あり。また、偶数日には大阪、神戸、高松、高濱別府間、往復遊覧船、くれない丸あり。その他の汽船、和船の出入すこぶる多く、殊に大分、別府間は電車の便ある等、海に陸に交通至極便利なり。
二、温泉の豊富なること、実に東洋一なりと誇る大別府には、現在約一千百余ヶ所の泉源を有し、天下一品という海浜の砂湯を初め、普通浴槽、蒸湯、臥湯、湯滝等は各々その泉質を異にし、炭酸泉、硫黄泉、鉄泉、塩類泉、等多種にわたり、いずれも諸病に特効あること多大なりとす。
三、泉都大別府は前に蒼々として波静かなる大海に臨み、後ろには森々として高き四極、鶴見の両山をおい、山海の風景極めて良く、しかも地質高燥にして気候温和なれば夏は涼しく、冬暖かく、避暑避寒の好適地なりとす。
四、別府町は今や人口三万を算し、戸数六千のうち三百の旅館を有し、一ヶ年の浴客延人百万人に達すといい、日に月に益々夥しき浴客の増加を見る盛況にて、各旅館は増築に増築を以ってして、町当局者も総ての設備に留意し、極力大別府の発展を図りつつあれば、遠からずして別府は大別府市となり、名実共、真に世界の楽園地となるを得べし。