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ノスタルジック解説ブログ

アイヌの大祭 熊祭り【大正15年 「アイヌの熊狩と熊祭」より】

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アイヌの大祭 熊祭り【大正15年 「アイヌの熊狩と熊祭」より】

この文章は、大正15年に刊行された「アイヌの熊狩と熊祭」の内容です。
又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。



アイヌの大祭 熊祭り

熊祭の意義


 熊祭りとは、所謂、熊送りで、アイヌ語では「イヨマンデ」。送り遣るの意と称えている。熊祭りはアイヌの年中行事中でも重大な儀式である。これを行う意味は、アイヌに依って多少違っているようである。青山樹左郎氏著「極北の別天地」に記載せる樺太アイヌ酋長の談話を参考のために記して見よう。

 酋長パフンケ曰く(樺太東海岸榮濱郡相濱村居住)「熊祭りの譯は、熊は山の神の方から来たものであるから、山の神様の祭りに際し、数多の知人が来る故に、其の者にご馳走する為に飼養の熊を殺し、其の肉を分かち倶に楽しむものであります。熊の頭は切り取りて山の神に供えます。くまを神様として祭る訳ではありません。」

 酋長アトイサランデ曰く(樺太西海岸真岡郡廣地村居住)、「熊祭りの訳は種々申しますが、私の親父等の申し伝えた事は、熊は山の神の御使で部落に来る、故其を一年飼うて翌年の一月山の神の祭日に拓さんのイナヲを作り、又、種々の宝物や御供物をして早く此等のものを持って熊の双親のところに戻れ、又、来年も代わりの熊を遣し呉れと云うて祭るのです。其の祭る際、熊に申し送る言葉は左の如く文句であります。

「此の幣(イナヲ)を背負って嗚呼可愛な、之を持って行って呉れ。之を持ったら親のところに行くのであるよ。此の宝物もあるから之も持って行って呉れ。親のところに持って行って呉れ。此の温かき食物も遣る。背負って好く持って行くのであるぞ。此の山の道を通って行けば御前の親が居る。御前の親も亦、其の親も此の道を通ったのである。此の道を間違わずに行けよ。嗚呼好く持って行って呉れ。早く親のところに持って行け。」
左様な事を云うて熊を祭り殺すのである。」

 酋長シベケンニシ曰く(樺太西海岸野田寒村居住)、「熊祭りは唯熊が山の方から来たというので山の神の居ります故に帰らすのであります。そして神様に私等が神を祭って居る様子を話し手、私等に幸多くして狩猟されて呉れと熊の頭を切り祭るのであります。」

 神学博士ジョン・バチエラー氏の著「アイヌ人と其説話」には次の如く書いてある。
「著者は常に熊祭りの真の目的が奈邊にあるかを疑う事と思う。何故に熊及其の他の動物を犠牲にするか、誰に捧ぐるのか、此等に関し、著者はアイヌ人中、従来斯る事をしたが、こんにちは耶蘇教徒になっている者及び、今日も尚続行しつつある人々に問い試したが、正確な答弁を興え、首肯させる者はなかった。私の悟った範囲では、此の犠牲に代わるべき思想もなく、又血を渡すことを犯罪とも思わぬから、此は贖罪とも考えていない。故に昔猶大人の犠牲に対する思想と今のアイヌの考えとは極めて近似している。

昔の事は捨て置いて。

犠牲に供する事のアイヌの考えは、思想に於いても目的に於いても、唯肉体的のみで心霊的方面に何らの交渉もない。故に彼等は他の動物を以って之に代えても構わない。唯獣類を殺して之を食する以外、他意ないのである。故に之を特に取り立てて論ずるは大人気なく又、正当でもないと思う。猟人の言によれば犠牲として動物を殺して祖先の許に「送り遣」れば彼等は山中の住家に帰り、若返りて再現するのである。尚ぼ言を添えたいのは犠牲の祈に於いて再び来たりて今一度饗宴の為に食料を提供せよとの要求をするので、鳥の殺され、食われ且つ亨楽を受くるの名誉と認めて居る。此が実に多くの人々の意見である。此の動物は無論「TOTEM GOD」の一で人が之を殺す理由は饗宴のみが目的でなく、寧ろ其の犠牲、獣と共に亨楽をするを主とするのである。と云うのは動物の死後設ける饗宴に於いて、其の動物自身の肉が主要部で、そして其の動物自身も宴客の一人である。即ち共同饗宴で友諠と族諠と兼ねたものである。アイヌの思想によれば宗教の真諦は大勢力と交■する事で人々は神々(特にTOTEM GODたる獣及鳥)と交■を完全にするには犠牲にした肉と現実的に肉体的に相伴するに限るとしている。併し此は私共には受け取れぬ。熊祭りは神々に供物を捧ぐるのでなく犠牲者其の者、及び崇拝者一同に捧ぐるのである。」

 右の話しによって考うるに、熊祭りは山の神を祭るのであって、熊を祭るのではない。熊は唯山の神の犠牲に備うるものに過ぎない。そして祭られた熊の魂魄が宝物や御供物と持って山の神の許に至りアイヌが山の神を盛に賑かに祭り居ることを告げしむるところの祭事である。したがってアイヌは最も荘厳に且つ敬虔な態度を持って此の儀式を行うのである。山の神は己の使者(即ち熊)を厚く遇し、且つ土産物をたくさん持たせたことを深く嘉して多くの賞興、即ち幸運(アイヌ語マウコピリカ)をアイヌに興え賜うものであると信じているようである。尚、儀式を盛にすれば熊の魂魄が山の神の許に帰るに際し、途に迷うことなく早く達することが出来るということである。
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