この文章は、昭和7年に刊行された「女魔の怪窟」の内容です。
旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
農村男女の密会場所
夏の熱海は野合の好適地である。この附近農村の若い男女が、骨休みに熱海へ行って湯治して来るという名目の下に、家を飛び出してはここで密会を企てる。素人やで間借りをして公衆的の千人風呂へ行って入浴する。贅沢も仕放題に出来れば、また至って格向にも遊散し得られるのが、この熱海である。
警察はあっても取り締まりは寛大であるし、夫婦者や若い情人連の湯治に来る客が寧ろ多いので、この野合があったからとて、怪しんで咎めもせねばなんとも思わぬ。この点から見れば、熱海は実によい所である。
然り、熱海は実に淫蕩の地である。それ故、夜の九時か十時頃になっては、彼れ芸しゃも四方八方から口が掛かるか、その後になっては「お生憎様」と断られてします。況や十二時後になって真面目に置屋に帰る芸者も少ないのであろう。
熱海の客は先ず上品と見てよい。然るに芸者はその容姿に於いても、その衣装に於いても、何もかも上品でもなければ華奢でもない。これはつまり、「不見転(ふずてん)」を主眼とするものか。
そのくせ熱海は物価が高い。他地方と変わらぬのはタバコと郵便切手だけだといって人もあるが、正に其の通りに相違あるまい。それでも昔から熱海といえば著名なるだけに、湯治の客も夥しい。そしてまた、この淫蕩を味わぬ者も少ないという話。