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    <published>2023-07-18T10:34:20+09:00</published> 
    <updated>2023-07-18T10:34:20+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>自炊する人の為に【大正8年「伊東及附近」より】</title>
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      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
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<strong>自炊する人の為に</strong><br />
<br />
旅館ではどこでも、自炊に均しいような、御伺いという賄い法があるが、そう自分の気に入った様なものばかりも出来ぬことがある。又、三か月も四か月もという様に長い滞在をする際に、なるべく経済的に少しでも長く滞在しようという者や、又は病気の関係上、食べ物の難しい者などは、自炊法によるものが沢山ある。しかし自炊は中々男手や老人などのよくする所ではない。十分炊事を担当し得るマメな人をもたぬ限りは、かえって不利益で養生にも何にもならなくなる。<br />
<br />
〇貸家<br />
貸家も稀にはあるが、貸家札などがはられてないから、見つけるに骨が折れる。猪戸方面、桝湯辺に浴客のための香椎あが沢山出来ているが、いずれにしても知人に頼んで、予め探しておくか、宿屋に落ち着いて探すのが順である。家賃も疊一畳一円三十銭留まりと思えば大差があるまい。夏季は少し高いようだ。<br />
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〇貸間<br />
貸間を目的にして建てた家がポツポツある。素人家で間貸しをする家もある。内湯のある家もある。雑水に不便な所もある。買い物に調法なところもある。最善を尽くすことは難いが、なるべく多くの希望条件を備えた所を探らんのが当然である。間代も七、八、九の三か月は平常の三倍位である。<br />
<br />
〇貸間貸家を探らんについての条件<br />
第一に温泉の質を確かめる必要がある。伊東に来る第一眼目が湯治である以上は、これを等閑にしてはならぬ。同じ伊東でも温まる湯もあり、冷える湯もある（勿論、入浴中は温まるけれども）、婦人病の人が冷える湯に入るような事があったら、せっかくの湯治も却って害になる。又、腫物や切り傷の人であったら、冷える湯の方が効くので、どの湯が冷える、どの湯が温まるということは、一々ここに指摘しないが、各自に於いて細心の注意を以て調べる必要があろう。その他、日当たりのよい所、買い物に便利な所、静かな所、勝手元の使いよい所、雑水や飲料水の詮議なども考えの内に入れねばならぬ。<br />
<br />
〇日用品<br />
買い物は大抵のものは事欠かぬが、つくだ煮や、煮豆屋が一軒もないから、ちょっと惣菜の補いにしようというものがないことを知っておらねばならぬ。又、買い物も三、四間買い試して歩くと、中々志那によって、家によって半分も違う。これは炊事うけ当人の上手という者、旅の者と見て値を左右する不徳の承認が無いとも言われぬ。買い物の内で不便なのは魚である。漁場で魚の不便は矛盾しているが、切り身の咲かあが買えぬことで、ヒラメでもタイでも一尾か半身でなければ売らぬ。勿論、小魚は色々あるから大した不便はないが、少人数の所では困る時がある。値段は東京と大差なく、ただ、新しいだけが安いのである。玉子なども生みたてがいたる所にあるが、少しも安くない。しかし、野菜物と肉類は幾らか安いようである。<br />
<br />
〇炊事道具<br />
人数と滞在日数とによって違うが、土焼の赤い釜やコンロも大小色々あって、どこでも売ってる。其の他少しも不便な物は無い。家によっては色々貸してくれるところもあるから、直接口に当てる器だけ揃えれば足りることもある。場所によっては長火鉢も手焙も借りられる所もある。それらは部屋を見せて貰う時によく聞きただして、約束の内に入れておかねばならぬ。<br />
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〇夜具布団<br />
夜具布団は自分常用のものを持って来る方が気持ちもよく、また、安心であるが、貸してくれる所は数か所ある。そういう折には、敷布や肩当、襟布、枕布などは自分のものを縫い付けて、度々日光消毒を行い、健に選択を怠らぬようにしたいものである。借り賃も家によって高低はあるが、大約、次のとおりである。<br />
<br />
綿布夜具　一組（敷布団、四布、夜着、三枚）　一夜金十三銭位<br />
絹布夜具　同　　　　　　　　　　　　　　　　一夜金二十五銭位<br />
<br />
又、一枚にても好みに応じて貸すところもある。<br />
綿布夜具　一枚一夜に付き、<br />
敷布団　金二銭<br />
四布　金三銭<br />
夜着　金八銭位<br />
<br />
絹布夜具　　一枚一夜に付き<br />
敷布団　金十銭<br />
四布　金十銭<br />
夜着　金十五銭位<br />
<br />
蚊帳　（六八にて）一夜に付き<br />
綿蚊帳　金五銭位<br />
麻蚊帳　金十銭位]]> 
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <published>2023-07-17T23:39:37+09:00</published> 
    <updated>2023-07-17T23:39:37+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>旅館と費用【大正8年「伊東及附近」より】</title>
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      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
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<br />
<strong>旅館と費用</strong><br />
<br />
　滞在している間は、その旅館なり部屋なりが自分の意に添ったものでなければ、誠に居心の悪いものである。勿論、安かろう悪かろうのことわざも免れないが、自分自分の希望と胸算用によって或る程度迄は十分に詮索する必要はあろう。病気のための滞在ならば勿論、泉質を第一に考えねばならぬが、閑静でいいと思えば、冷える質の湯であったり、善い旅館だと思うと取り扱い振りが現金主義であったり、日当たりが悪いとか、風通しが悪いとか、歌舞の巷に近いとか海に遠いとか、十人十色、それぞれ行くべき向きが区々である。成金ぶりを見せることも出来る一面には、家族的に気安く滞在することもできる。つまり、一から十まである。<br />
<br />
尤も安全な旅館決定法は、かつて来浴した人に様子を聞くか、その地の知人を糺すのが安全であるが、そうもいかぬことがある。時分はその地に着いてから荷物を然るべき所へ預けて置いて、半日がかりで十分の調べをする方法を執っているが一番善いようである。<br />
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伊東の南部、玖須美にあるものでは、<br />
暖香園、大坂屋、伊東館、櫻屋、松林館、静海館、河原旅館、扇屋、東屋、富士本、京屋などがあり、大川橋誓榮町には、高橋、若松屋、村上の三軒がある。<br />
<br />
伊東の西部に当たる猪戸方面では、<br />
桝屋、湯元館、山田館、東京館、元猪戸、新山田、朝日屋、富士屋、佐野屋、梅本、池田屋等を数える。又、<br />
<br />
大川橋の左右に、<br />
葛野や、松川館、泉屋、安元、小川館、栄松館がある。<br />
<br />
伊東は鮮魚が多く、山の物もたくさんあるので、食物は美味いものが膳に上る。また、東京との便船が毎日あるので、日用の調味料は走り物に事を欠かないので、永い滞在でも少しも飽きのくる所が無いのである。<br />
<br />
旅館の費用も、「定賄」と「御伺い」とによって違う。<br />
<br />
・定賄というのは、一切を宿に任せてしまうので、一日何程と定まった宿泊料で三食とも賄わさせるので、普通のやりかたである。最近の組合規定は次の通りであるが、宿によって多少の手加減があり、又食べ物や寝具に手加減が加えられること、いずこでも同様なことである。<br />
<br />
一泊料（朝晩二食及び泊まり）<br />
上等　金二円五十銭<br />
中等　金一円五十銭<br />
並等　金一円十銭<br />
<br />
昼飯料<br />
上等　金一円<br />
中等　金七十銭<br />
並等　金五十銭<br />
<br />
要するに、三食賄って貰えば並等が一円六十銭になる勘定で、遠出等の折に前もって断っておけば勘定以外にあるのである。<br />
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<br />
・御伺いというのは三食とも宿から聞きに来た時に出来るものをその都度註文するので、この方法によると部屋代、夜具料、電灯代、炭代等払わねばならぬので、中々面倒なやり方である。却って貸間でも借りて自炊した方がよかろう。<br />
<br />
座敷料（一日一室）<br />
十一畳　金一円以上<br />
十畳　金八十銭以上<br />
八畳　金六十銭以上<br />
六畳　金四十銭以上<br />
四畳半　金三十銭以上<br />
<br />
寝具料（一組一日）<br />
絹夜具　上七十銭以上、並五十銭以上<br />
紬夜具　金三十五銭以上<br />
木綿夜具　金十八銭以上<br />
蚊帳　上金三十銭以上、並金十銭以上<br />
どてら　絹金十銭以上、綿金五銭以上<br />
<br />
<br />
<br />
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    <author>
            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <published>2023-07-17T23:12:12+09:00</published> 
    <updated>2023-07-17T23:12:12+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>伊東附近の遊覧地【大正8年「伊東及附近」より】</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
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<br />
<strong>伊東附近の遊覧地</strong><br />
<br />
　伊東附近は昔より、歴史的関係が多いのと、地勢上海嶽の縁の深いとのために、形勝の地や旧跡がそこここにある。又、丘岡起伏し、登攀に適するものが多い。間人日数に余裕のあるの士は、時に応じて巡遊せんことを切に勧める。今、伊東を中心として二里を出でぬの地、即ち、半日の少遊に適するの地、三、四を記す。<br />
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○宇佐美の古駅<br />
　伊東から海に沿って西北一里余、三方は山で、南だけ海に面している。挟んだ人家稠密な小駅である。昔から網代や熱海への通路で、今でも中々往来がある。この地とうべき所が多く、眺望また伊東と風景を異にし、特に大崎の鼻附近は良い景色である。<br />
<br />
○大楠（おおくすのき）<br />
　宇佐美宿の中程から、左へ熱海道を三、四丁山際に春日神社が祀ってある。境内には大楠があって、空洞の大きさ一丈中に数人の座を設けることができる。延宝の昔、巨船、阿武丸を作る際に伐ったもので、現今のはその芽生えであると伝えられ、伊東葛見神社の大楠と同じようなことを言っている。<br />
<br />
〇大崎の鼻<br />
　大通りをつき当たって、山際の木橋を渡り、右へ濱伝いに小石交じりの道を三丁、漁家の部落を出外れると小さい防浪渠（ぼうろうきょ）があって、常に四、五の漁船がもやっている。なお崖下を二丁許り行くと、道は尽きて波打ち際へ出る。これ大崎の鼻で、絶壁長く会場に突き出し、怒涛を常に澎湃している。見ずや伊東の沿岸は絵のごとく、初島のたい影もまた、翠容を新たにして、我を迎え、時に群鴎横ざまに翔けって帆影を掠むるを。<br />
<br />
〇宇佐美砦趾<br />
　宇佐美宿の突き当りの小山を城山といって、山の上に六百余坪の平らな所がある。宇佐美祐茂（すけもち）の城砦の趾で、こう地の名残を見る事が出来る。附近、梅桃が多い。山際の杉山某はその後裔で、古文書等蔵すると聞いた。<br />
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<!-- admax --> <br />
〇宇佐美氏累代の墓<br />
　杉山氏邸後に、五輪塔数基がある。宇佐美家累代の墓と伝えている。<br />
<br />
〇東光寺<br />
　宿外れの木橋を渡って左へ山沿いの道を五、六丁、右手の小高い所にある。この地の豪族、能登守、宇佐美貞興が延徳三年戦死した際に、其の父、左衛門尉祐孝が（さえもんじょうすけたか）が菩提の為に建立したもので、その法名、道盛東光寺殿より起これる寺号であろう。この辺、山際はすべて南面して、後ろに山を追っているので、気候著しく温暖、一月上旬すでに梅の満開である。<br />
<br />
〇朝善寺<br />
　東光寺から尚、四、五丁左へ田圃路へ曲がって、竹藪近くにある。日蓮上人の高弟日朝出生の地で、その父、圓能坊夫妻の墓がある。僻村にあるので、寺運頗る振るわない。<br />
<br />
〇圓能坊夫妻の墓<br />
　朝善寺の本堂に向かって左側へ墓地の中程に、二基の五輪の塔がある。高さ四尺一寸、多くの小墓の雑然たる間にあって荒れ切っている。一方は頂部の宝珠うぃ失っていて、文字などは殆ど判読することができぬ。<br />
<br />
<br />
<br />
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <published>2023-07-17T22:41:07+09:00</published> 
    <updated>2023-07-17T22:41:07+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>伊東の夏と海水浴【大正8年「伊東及附近」より】</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
<br />
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<strong>伊東の夏と海水浴</strong><br />
<br />
　伊東は冬の所であり、また、夏の所である。冬は名物の西風の吹かぬ限りは暖かで、平均温度華氏五十五度を保ち、一月の初旬に梅を見る事が出来る。夏は海近く、山を負うているので、涼風常に湯村を訪れ、海辺に山陰に涼を追うに多くの勝景がある。瓶山（かめやま）における松林のつるね、玖須美公園の蝉時雨、吾妻の森の潮声、又は御岳、瀧ヶ澤、何れも時を費やさずして行くことが出来る。<br />
<br />
　五月から九月にかけては、鮎釣りの好機で、松川流域、どこでも釣れる。又、ボラ、黒鯛、鯵、鰻、カジキ、ハゼなど何れも大きなものが釣れる。これ等は冬の伊東に見られぬ興趣の一つである。<br />
<br />
夏になると、海岸二箇所に海水浴場が設けられるので、温泉を兼ねて、来浴するものが多く、教師に引率された、中学生等も毎年見える。<br />
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○海水浴の効は今更云う迄もなく、海水の冷たさより受くる亜悲劇、含有する塩分が及ぼす作用、波涛の動揺による内臓の観応等によって、第一に皮膚を丈夫にして風邪を引かぬようになることは確かである。又、冷たさの為に脉管（みゃくかん）の末梢が俄に収縮して一時血行が止まるので、内臓に血が充満すると同時に、血液循環が盛んになる。従って代謝機関がこう進して、体温の発生を促進する。又、食欲の増進が著しくなり、一方、尿素の分泌が増すのである。<br />
<br />
○海浴場は、玖須美海岸の八幡神社の後ろに一か所と、松川橋を湯川の方へ渡ってすぐ右へ折れた突き当りの松原海岸に一か所設けられる。何れもバラック式の休憩場が建てられ、脱衣室、脱衣駕籠、洗体所等設備される。両所共に個人の経営であって、一回金三銭の浴料をとる。又、浮袋、浮き輪、海水シャツ等も僅かの料金で貸してくれる。尚、小形のボート十余艘が用意してあって、時間貸しをする。一時間二十銭と覚えている。<br />
<br />
伊東の海はやや遠浅で、四十間ばかりの沖で満ち潮時、一尋半位、岸近くでは幼童でも手をついて這うことができる。波は比較的動揺が緩やかで、清澄ショウショウのごとく海底は貝殻小石が一つもない。極めて安全である。浴場は浮樽と旗綱とを以て監視区域を画し、男女の混泳を禁じてある。<br />
<br />
○開場機関は、毎年七月一日から八月二十一日まで、六十一日間開かれる。<br />
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○質素な海水浴　海水浴場は兎角虚栄の集会所のような気分に陥りがちである。見たこともないような奇形の浮袋、鎧の様な浮き輪、善美を尽した海水着、定紋や名を入れた占有のボート、または一人の為に三人の女中を召具するという様な不快な気分は伊東の海水上には絶無である。すべてが質素で海水シャツを着くる者さえ数える程で、手拭の頬かむりで飛び込むという様である。されば風儀が良い事は大いに誇るべき点で、多い時でも百五十人を数えた事が無い。<br />
<br />
○海水浴に就いて注意すべき事は、朝夕は壮健なる者のほか、海浴してはならぬ。日中十一時から三時半位迄がよい。水浴時間も一回五分から四十分くらい、一日三回位を度とする。唇を紫いろにして肌に粟を生ずるという様なことは害あるとも益は無い。男であったらまず頭部に二、三回水をかけて海に入ると、腸の為に大変よい。頭部だけ炎熱に焼かれて五体を冷やすということは面白くない事である。また、消毒綿（浴場にあり）を耳穴につめておくと、耳症を予防することが出来る。<br />
<br />
<br />
<br />
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <published>2023-07-16T13:03:16+09:00</published> 
    <updated>2023-07-16T13:03:16+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>温泉浴に就いて【大正8年「伊東及附近」より】</title>
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<strong>温泉浴に就いて</strong><br />
<br />
　湯治をするにも、多少の節制と用心とをしなかったら、その効は無いので、病気がよくなるのも、保養になるのも温泉の効ばかりでなく、尚、精神的療養の力も持たねばならぬのである。少なくとも滞在の間は商売を忘れ、勤めを忘れ、又、家庭の煩いを忘れ、一切の活社会を後ろにして、呆然した者になり、浴って食って歩いて寝ての四つをお勤めとする様な気分にならねば湯治の効も半分である。即ち、精神療法の効は偉大なものである。<br />
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　温泉にたくさん入ったから効能が余計あるとは言えない。温泉を直に飲むから身体によく効くとは言えない。多少の注意と心得とが無いと、効が少ないばかりでなく、ある場合には、悔いを残すことにもなる。<br />
<br />
○選択：温泉を選ぶのは病気の者なら、その適した泉質の所へ行くのは当然の事で、伊東は呼吸器患者に余り効がないことを心得ねばならぬ。熱海は専門医がこぞって推薦する呼吸器病者の霊泉で、又、新見のようにその専門医が伊東には一人もいない。<br />
<br />
○時期：公職や商用との関係や、病気の都合で、時は決められぬが、普通、三、四、七、八、十、十一月等が良いとされている。伊東の冬は暖かである。伊東の二、三、四月は、小春日和の続く行楽の好季。七、八、九月は海浴と釣魚に賑わう。そして、同温泉に三、四年と続けると効が多い。<br />
<br />
○機関：温泉療法の奇観は、大概三週間を適当としている。リウマチスの様なものは月を超ゆることあるのは勿論である。<br />
<br />
○入浴度数：老人と衰弱者は一日一回、若い人、壮健者であったら三、四回が適度で、閑なままい五度も六度も入浴するのは、かえって結果がよくない。<br />
<br />
○食事の前後：食前食後は一時間を隔てねばならぬ。特に、食後直ちに入浴することは慎まねばならぬ。<br />
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○入浴時間　長くて三十分を度とする。病気によって神経痛ならば長くともよいが、新造に影響ある症なら短くという様に、自分の身体に聞くべきである。<br />
<br />
○飲用：温泉飲用は病気によって効能があるから、自分の主治医に泉質を知らしで、その判断を乞うがよい・飲む量も茶碗茶碗に一杯づつ二回くらいを飲み始めとして、一日五合を超えてはならぬ。又、婦人病者は温泉飲用をしない方がよい。<br />
<br />
○房事過度：飲食の節制などを慎み、適度の運動を忘れてはならぬ。<br />
<br />
<br />
<br />
]]> 
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
        </author>
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    <id>jikanryoko.no-mania.com://entry/210</id>
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    <published>2023-07-16T12:07:17+09:00</published> 
    <updated>2023-07-16T12:07:17+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>伊東の温泉【大正8年「伊東及附近」より】</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
<br />
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伊東の温泉<br />
<br />
　伊東六区のうち、玖須美、松原、猪戸は何れにもたくさんの湯がある。昔は、猪戸湯、出来湯、玖須美湯（昔は和田の湯と言った）の三つしか湯のなかったものである。<br />
<br />
○猪戸方面の温泉では、松原出来湯と猪戸元湯が昔から名高い温泉である。出来湯は寛永年間に発見されたもので、源泉は桝湯とも言われている。<br />
<br />
石材を畳んで方二間の湯槽を設け、底部の礫石の間から沸々として盛んに温湯を吹き出している。付近では、皆、木竹の樋を伏せて導いている。また、源泉の側に共同浴場もある。その隣に、馬の湯とて、馬の為の湯の池があったが、大正七年の秋になぜか埋めてしまった。名所の一つを失ったことを伊東の為に惜しむのである。馬の浴料、二銭であった。<br />
<br />
その隣に路を隔てて、新湯という共同湯があって、眼の病に効き目があるので知られている。何れも温度百五十度位、湧出量の多いのは桝湯を第一としてある。昔は、徳川幕府へ豆州湯ヶ原の湯だと誤魔化して樽詰めとして盛んに献上したものだそうだ。<br />
<br />
猪戸湯の発見されたのは、いつの頃か年代は定かではないが、往時、この辺は雑草が生い茂っていて、極めて寂しい所であったが、時々手負いの野猪が来て、その傷を癒して帰るのを里人が見て不思議に思い、草原をかき分けてそこから霊泉の湧き出るのを発見したのが、この温泉の始まりだと言い伝えられている。この辺を猪戸（昔は、猪渡と書いた）と言うのも、猪が来たという意味から起こった地名だと言うことである。<br />
<br />
天保十一年に武智嘉右衛門という人が温泉宿を構えてからポツポツ増えて、今では大小十余軒の旅館が軒を並べて繁昌している。<br />
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泉質は塩類泉で無色透明、多少塩味はあるが、臭いは無い。その主成分は、<br />
<br />
コロル　多量<br />
硫酸　多量<br />
カルキ　多量<br />
アムモニヤ　微量<br />
固形分合計　0.74グラム<br />
ナトリユーム　著明<br />
加里　著明<br />
<br />
このほか、リン酸、ケイ酸、鉄分、礬土、マグネシア、等の痕跡を示して居る。効験ある適応症は、胃病、腸カタル、神経痛、リウマチス、神経衰弱、脳病、痔疾、打撲傷等によいといわれ、呼吸器病には効が無い。<br />
<br />
○松原方面の湯は、松川橋の流域に沿って、何れを掘っても熱い湯が湧出するので、旅館は何れも自家専用の湯口を持っている。海に近いためか、塩分の強い湯が多い。又、松川橋際の榮町附近（玖須美に近い所）では、同じ松原区でも塩分はずっと少ないようである。<br />
<br />
又、海岸近くの辰の新田に、眼の湯というのがあって、眼疾に特効ありというので、たんぼ中の小屋湯ではあるが、なかなか高名である。<br />
<br />
泉質は猪戸の泉質と伯仲の間にあって、塩分が多量である。温度は百二十度位で、塩分がある為に、肌は多少荒れる気味はあるが、温まる湯である。<br />
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○玖須美方面の湯は、昔は和田の湯と言われ、慶長年間時の、里正下田氏が官に願って開墾して村民をここに映した。湯はその作地の中にあったので、和田の湯と言っていた。昔は伊東の薬湯と称えて、江戸の幕吏や大観、地頭などの来浴の際は停湯の令を下して、村民を入れしめなかったという位古くから知られていた。<br />
<br />
この地の湯も江戸城に献湯したもので、御前湯といったものだそうだ。旧記によると、慶安三年に浴室を作ったのが初めだという。古来から遠近に著れているのは、玖須美大湯（十字路にある共同湯）と大阪の湯（通り名）で、両湯とも、浴槽の簀底の下から湧き出ている。櫻屋の一つもそれであるという。<br />
<br />
この地は道路を挟んで何れを掘っても多量に湧出するので、湯口の多い事は各区中随一である。泉質は一リートルの中、<br />
<br />
硫化水素　痕跡<br />
コロール　最多量<br />
加里　著明<br />
ケイ酸　少量<br />
硫酸　多量<br />
ナトリユーム　著明<br />
マグネシア　少量<br />
礬土　少量<br />
カルキ　少量<br />
及びアムモニヤ、鉄分の痕跡<br />
<br />
等の主成分で、無味無臭澄んだ湯である。温度平均百度位。<br />
効能のある適応症は、非常に温まる湯であるので、子宮病、産後の養生、生殖器病、リウマチス、神経痛に特効がある。又、神経衰弱、胃病、痔疾等にもよいが、一切の呼吸器病には寸効がない。ただ、喘息には効能があるという。<br />
<br />
以上、各区にはそれぞれ、別荘や自家用として専属の湯を持っている。ほか、共同湯が至る所にある（湯銭一回金二銭）から、自分で気に入った湯に入ることができる。<br />
<br />
<br />
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <id>jikanryoko.no-mania.com://entry/209</id>
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    <published>2023-07-14T17:57:13+09:00</published> 
    <updated>2023-07-14T17:57:13+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>伊東温泉への交通【大正8年「伊東及附近」より】</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
<br />
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伊東温泉への交通<br />
<br />
　伊東へ行くということは、以前は大変に億劫がられていたものであったが、近年自動車が開通したので、老人でも気安く出かけるようになり、都人士にもだんだんと認められて来たのである。乗り物も方面によって船あり汽車あり軽鉄ありで、色々混用することも出来る。次にその大要を記そう。<br />
<br />
◎東京方面より行くもの<br />
〇東京よりするには汽船に依るのが一番便利で、時間の上からも費用の点からも経済である。婦人子供は兎に角、食わず嫌いで船を怖がる人があるが、相当大きな船で岸伝いに航行するので、至って乗り心地がよい。従って、未だかつて間違いのあったことが無い。舟に弱い者は、乗船前の食事を少し控えて、船に乗ったらすぐに毛布と枕を借りて、仰向けに寝ていると一番楽だ。眼を明けて四方を見回さぬほうがよい。<br />
<br />
　船は東京湾汽船会社の船で、大概二百トン前後、毎日午後九時に、京橋区霊岸島の乗船場（市内電車なれば永代橋停留場下車、それより河岸通りを右へ三丁つき当たり）から発船して、途中、熱海と網代とに寄港して、翌朝の八時には伊東に着くので、夜の間に来てしまうのである。<br />
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　伊藤に停船するとハシケが左右から横付けされる。伊東温泉は町の中央を流れる松川を以て、松原、猪戸方面と、玖須美方面とに分かれているので、もし行く先が決まっているならば、ハシケを選んで乗らねばならぬ。<br />
<br />
乗船賃　霊岸島より伊東まで　特等室　金三円五銭　並等室　金二円<br />
<br />
〇汽船に乗れぬものは陸路のみに依る事ができるが、費用は少し余計にかかる。然し、昼間の旅であるから、女子供には却って飽きないで、山渓の風景など眺めながら来るのもよかろう。東京駅から乗るとして、三島駅へ停車する、直通下り列車に乗り、三島駅で下車、そこに来ている駿豆鉄道の小列車に乗り換え、五十分ばかりで終点、大仁（おおひと）に着く。そこからは伊東まで五里で、自動車、高等馬車、乗合馬車、人力車、山駕籠などがある。東京駅からは直通の三番列車位迄が都合が良い。午前八時前後のものが何かにつけて便利で、夕方五時前に伊東に着かれる。即ち、一番は午後一時頃に、二番は三時ごろに、三晩は五時ごろに大仁駅に着くのである。<br />
<br />
・自動車は駅前にあって、汽車の着く毎に乗合自動車が出る。夜分にかかると割増金になるのみならず、景色は全く見られぬ。東京を三番で発つと、日の短い時だと夜にかかるようになる。天気なれば伊東まで一時間半。<br />
・高等馬車というのは二人乗り位の幌馬車で、伊東まで四時間。<br />
・乗合馬車は六人乗りの一頭立てで、伊東まで四時間。<br />
・人力車は冷川までは平地だが、山坂にかかると時々降りてやらねばならぬ。<br />
・病人茶人は山駕籠でも良いかもしれぬ。伊東まで六時間。<br />
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<!-- admax --> <br />
次に最近の調査による乗り物の賃金を記すと、<br />
・東京駅より大仁駅まで汽車賃　二等　金三円二十七銭　　三等　金一円八十三銭<br />
・大仁駅より伊東町まで乗合自動車賃　金二円五十銭<br />
　　　　　　　　　　　貸切自動車賃　金五円<br />
（ともに、雨雪は二割増し、夜間三割増し、夜間の雨雪は五割増し）<br />
・高等馬車賃　一台につき　金七円二十銭<br />
・乗合馬車賃　貸切一台につき　金六円<br />
・乗合馬車賃　一人につき　金一円<br />
・人力車賃　伊東まで　金五円<br />
　　　　　　冷川まで　金二円<br />
・駕籠賃　金六円<br />
<br />
高等馬車以下、時期と天候によって些少の上下はある。健脚の人は平凡なる坦道を冷川まで乗り物により、それから山道を歩くのもなかなか興が多い。新道（自動車道）を行くと三里、旧道を行くと二里で、自然美を味わうには旧道を歩く方がよい。<br />
<br />
〇汽船は嫌い、山越えも感心せずという人ならば、船車を併せ用いることが出来る。<br />
・東京駅から国府津駅まで汽車に乗り、駅前二丁余の場所から出る伊東通いの汽船に乗るのである。汽船は浪風さえなければ毎日正午に出帆する。途中、熱海と網代によって、終点伊東に着くので航走四時間。<br />
・又、一法は東京駅から汽船と軽便鉄道で熱海町に出で、熱海から三時頃寄港する前項の船にのって行くので、船中わずかに一時間半、これは乗換が度々で厄介だ。総てを通じてそれぞれ一得一失がある。<br />
・東京駅より国府津駅迄汽車賃　二等　金一円七十銭　　三等　金九十七銭<br />
・国府津より伊東迄汽船賃　特頭　金二円五銭　　並等　金一円六十五銭<br />
・熱海より伊東迄汽船賃　特等　金一円十五銭　　並等　金七十五銭<br />
<br />
◎中京静岡方面より行くもの<br />
○やはり大仁駅迄の汽車切符を買って、三島駅で下車し、駿豆線に乗り換えて大仁駅に着き、それより車馬にて到る。<br />
○或いは、沼津駅で下車し、自動車の通しで、伊東に着くこともできる。伊東迄二時間貸切賃金二十五円、乗合賃金金三円五十銭。風雨、雪、夜は割増しになる。<br />
<br />
<br />
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <id>jikanryoko.no-mania.com://entry/208</id>
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    <published>2023-07-14T17:17:22+09:00</published> 
    <updated>2023-07-14T17:17:22+09:00</updated> 
    <category term="伊豆" label="伊豆" />
    <title>東の新別府【大正8年「伊東及附近」より】</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[この文章は、大正8年に発行された「伊東及附近」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
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<!-- admax --> <br />
<br />
<strong>東の新別府</strong><br />
<br />
　日本は世界有数の火山国、従って温泉が至るところに湧出する。就中、伊豆は湯の国と称えられるだけに、行くところとして湯の香のせぬところはない。富士の火脈は延々南に走って伊豆半島に温泉郷を敷き、海を渡って遠く大島の三原山にその余ぜいを洩らしている。函嶺七湯を先駆として、湯河原、伊豆山、熱海、吉奈、土肥、長岡、修善寺、湯ヶ島、船原、嵯峨澤、伊東、河津、蓮台寺等袖を連ねて二十余箇所もある。伊東温泉はその中央部に介在して、海浜に近く伊豆の最も東端にある。伊東の名もこれによるのであろう。<br />
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<!-- admax --> <br />
　日本には温泉が多い。伊豆には温泉が多い。しかし、伊東くらい湧出量の所はあるまい。山と海との勝景を併せ占めた所はあるまい。熱海には海と山とがある。しかも、一日一回の間欠泉であった。海は浪荒くして、遊浴は不可能である。伊豆山は湯瀧をかけて湯量を誇った。しかも、一か所に過ぎぬ。そして山間の僻陬は海を知らなかった。伊東は所在湧き出ぬ所はなく、現在四百数十か所から昼夜間断なく湧出し、なお自然の湯の池、湯の川は常に白気をあげて地下の活力を誇っている。伊東は実に湯の上の仙寛である。伊東は東方に大なる袖ケ浦の碧海を擁して、濱浅く、浪また静かに幼婦の遊泳にも適している。伊東は海を有する事、湯の豊富なることに於いて、九州の別府温泉に擬せられて、東の別府と言われている。多くの温泉は山の所である。従って、夏の所である。伊東は三方山を負うて温暖、雪を知らない。柑橘類の巨木は南国の表徴である。伊東は避寒の所である。かくして伊東は夏の所であり、あわせて冬の所である。<br />
<br />
<!-- admax -->
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<!-- admax --> 　松崎天民は、伊東の地を踏みたることなしと言いながら、呼吸器病者の巣窟だと言った。これ食らわずして饅頭の荷が気を説くと同じである。事実が証明している。呼吸器病者に寸効なきのみか、かえって病勢を促進するの泉質は、これらの病者を見ず、熱海のような不快を感ずることがないのである。]]> 
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <id>jikanryoko.no-mania.com://entry/207</id>
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    <published>2023-07-02T18:21:36+09:00</published> 
    <updated>2023-07-02T18:21:36+09:00</updated> 
    <category term="東京" label="東京" />
    <title>洲崎の印象【昭和17年「風俗帖」より】</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[この文章は、昭和14年に発行された「風俗帖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
<br />
<br />
<strong>洲崎の印象</strong><br />
<!-- admax -->
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<!-- admax --> <br />
　東京の中には何処も大抵知っているつもりでいたけれども、灯台もと暗し、洲崎を全然知らずにいたことを最近になって気が付いた。その洲崎へ行って見て初めて、こんな特殊なところを今まで全然知らずにいたかと、迂遠に心付いたわけだ。<br />
<br />
　尤も洲崎の概念なり地形等等は子供のころから聞き覚えてよく知っている。洲崎といえば、根津、大八幡楼、広重の絵の十万坪（名所江戸百景の内）と、よく知っている。写生画では小林清親や井上安次の木版画でその昔の有様をとうからなじみだし・・・却ってそのために、今日まで実態は知らずにいても気に留めずにいたものだろう。地理のせいでアヴァンテュールには縁なく過ぎた土地だ。<br />
<br />
　二～三日前、八丁堀迄写生の用があって行ったついでに、そろそろ日の暮れ方であったが、思い立って洲崎まで足を伸ばしてみた。そして車を「ここが遊廓の入り口だ」というところで降りてみると、相当幅の広い橋があって、俄然としてその先の行く手に娼家の一画が展ける通りの真ん中に打ち渡したコンクリートの路幅大層広く、その両側の、娼家の造りをした家並みが又、大層低く、比較的暗い。そのくせ惻々として町全体に物憂いような、打っちゃりはなしたような、無言のエロティシズムが充満している。それが吉原や新橋あたりのようにぱっとしたものでないだけ。丁度空も暗くどんよりとした日の、この街にはそれが誂え向きのパックだろう。一層陰々として真実めいた式場の景色だった。<br />
<br />
これが第一印象だったのである。<br />
<br />
　洲崎の大門であろう。別に門の体裁はなしていないけれども、。兎に角、大門と称し得る標識塔がそこに左右一対に建っていて、鋳物であるが古風な、先ずその右手の塔の表面に浮彫の文字がかなりの大字で「花迎喜気皆知笑」としてある。言うまでもなく左手の方とつづいて一連を成すものに違いない。道路を渡って左手へ行って見ると果たして「鳥識歓心無解歌」としてあった。裏面を見ると「明治四十一年十二月建」と打ち出してある。<br />
<br />
　夜目で審さにはわからなかったし、つい格別にも注意しなかったが、兎に角これは明治のカナモノ細工の一つで、その末季ものとは云っても、今となれば存外そのアラベスクなぞも時代の風味のある少数の遺存物に当たるだろう。<br />
<!-- admax -->
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<!-- admax --> <br />
　それよりも僕は、この洲崎のカナモノを見ると同時に、同じものでも吉原の大門の明治味感をすぐさま思い出していた。震災の当時、誰だったか名のきこえた人が真っ先にあの破片を担ぎ出した（？）とか聞いたし、近頃の消息ではまた、残片を時節柄つぶしに出したとも聞いたようだ。これは元来ちゃんとアーチ形の「門」になっているもので、策も去々よく、龍宮の乙姫様がアーチの弓形の真ん中に立って、夜空に電球を捧げていたのを覚えている。これは文献で見ると明治十四年の作とあるもので、<br />
「総て鉄にして、永瀬正吉氏の作に係る。両柱に一連を鋳出せり。<br />
　春夢正濃満街櫻雲　秋信先通両行燈影<br />
これぞ福地櫻痴居子が当時豪奢の名残りと聞こえし（明治四十一年版「吉原名所絵図」）」<br />
<br />
　洲崎のものは何れこの模倣に相違ないものである。吉原のカナモノ細工ならば、そういう庶民美術品の一つの代表として伝わる価値のあったものである。洲崎の標識塔も、震災前あたりはやはりアーチ形をしていた。今あるのはその一部かも知れない。<br />
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　僕が昔、家人から聞いたところによれば、東京も川を向こうへ渡れば別世界で、遊廓も洲崎は東京をかまわれた東京者の行くところである。従って気風が荒く、娼妓などもそれに相応した渡り者が陣取っていて、往々にして雇人の方が主人よりも鼻息が荒い、と。<br />
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　しかしそれは「昔」の東京又は洲崎のことであろう。今は「東京」も「洲崎」も変わったから全然話が別と思われる。それにしても、どこかに昔なりのぞんきな、又、伝法な気風はあるものか、僕がつい先夜の一～二の散見にしても、それが吉原・新宿・品川・玉の井・・・どことも違った真紅な装束の女が帯しろはだかで、いきなりばらばら横丁から往来へ出たのに出逢ったことや、ある小店の玄関先を見るともなく見ると、そこで五～六人の娼妓がたむろして、或いは髪を掻き上げている。一人は立って桃色の着物の前を大きく引っ張って振りながら合わせている。其の他、ごちゃごちゃしている有様が、とんと、國芳の絵本かなんぞを見るようであった。<br />
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　この廓内は通が正確に碁盤目を成しながら、大抵の通りのその行き止まり迄行くと、率然としてあたりがつぼむように暗くなり、高い一丈ほどもありそうな黒塀が立っている。又、大抵は行き止まりにコンクリートの広くゆるい段が出来て、その行き先が目隠しの、忍び返しなどを付けた頑固な板塀になっている。壇を登って塀の隙間から向こうを覗くと、光一つ見えず、そこはどんよりした遠い水面らしいのである。<br />
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　いかさま、昔この向こうの島に囚人がいた頃に、その時分、深川は吉原の仮宅があったというが、仮宅の騒ぎが、水に乗って先ず太鼓がきこえて来る。それにかぶせて浮いた三味の音が囚人たちの耳に伝わる。囚人がそんな時間にまぎれ牢抜けをして水を渡る芝居などが作られている。その頃のどんよりした水面も、今夜と全く同じものだったろう。<br />
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　洲崎というところは一体、「洲崎遊廓は洲崎弁天朝の全域を有し、別に一廓を成し、新吉原に擬したるものにして海に臨むを以て其の風景は却って勝れりとす・・・洲崎橋を渡りて廓内に入れば直接の大路ありて海岸に達す。左右両畔に櫻樹を植え、新吉原の一時仮植せるものに異なり、春花爛漫の節には香雲深く鎖して、一刻千金の夢を護す。この花折るべからずの標札は平凡なれども、ここに在りては面白く覚え、海岸の防波堤は石垣とコンクリートを以て築きたるものにして明治三十一年五月、監督東京府技手恩田岳造と固くしるしあり。天然の風浪はこれを以て容易に防ぎ得べし。色海滔々の情波は遂に防ぐべからず」<br />
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「青楼綺閣縦横に連なり、遊客の登るに任す。其の中、最も大なるは八幡楼（大八幡という）にて楼前に庭あり。蟠松に松竹等を配して風趣を添えたるが如き新吉原に見ざる所なり。其の他、新八幡楼、甲子楼、本金楼等は廓中屈指のものなり。夜着の袖より安房上総を望み得る奇景に至っては、実に東京市中に在りては本遊廓の特色なり。」<br />
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　こういう具合に書かれたところで、この文章は明治四十二年発行の「新撰東京名所」第六十四号から引用したものだ。余程今からは年代の隔たる文献だから娼家の名などは到底このままではいまい。しかし同じ本の「洲崎弁天町、町名の起源並びに沿革」に誌されるところはそのまま今も通用する筈だ。それに依ると、<br />
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「洲崎弁天町は五万坪ありて、もとは海中なりしが、これを埋榮し、明治二十年功成りて深川区に編入し、近隣に旧洲崎弁天の社あるを以て町名とし、同二十一年九月、一丁目二丁目に分かち、遊廓と為したり」<br />
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　して見れば、一立斎広重が死の直前（安政自三辰至五午年）に作った江戸百景にこれを「洲崎十万坪」として一望荒涼とした地域を空から大鷹の舞い下るすさまじい風景に表現したのも、頷かれる。井上安次の洲崎は、安田雷州の洲崎なども同じような図柄の、前景に長い川沿いの堤防があって、草地となり、これが埋め立て地とおぼしく、遥かに神社の屋根が兀然と高く見えるのは洲崎弁天に相違ないものである。<br />
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　おそらく安次の風景は、明治二十年以前に写されたこの土地の点景だったに違いない。<br />
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　僕はその日（十一月三日夜）、俄かに洲崎へ足を踏み入れたといっても、別段用事も目的もあるわけではないから極く気散じに、足の向くまにまに、廓内をぶらぶらして見た。主な大通りは非常に幅広いが、他の十字路は大抵六間幅だ。<br />
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　何しろこの遊廓の印象はどこも彼もヘンに森閑として薄暗く陰気でいて、そのくせぬるい湯が沸くように、町のシンは沸々と色めいている。鳥渡東京市内では他に似た感じの求めにくいものである。僕の乏しい連想でこれに似た感じのところは、京都の島原、それから強いて云えば、阿波の徳島の遊廓、三浦三崎の遊廓、そういうものに似ている。市街地からエロティシズムだけ乖離して場末の箱に入れた感じだ。色気が八方ふさがりの一角に閉じ込まれた為、町が内訌している塩梅だろう。<br />
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　昔の芝神明の境内の花街だとか池之端あたりはやはり暗い蒸すような中に極く色っぽいものだったが、四通八連のなかに在るので、空気の通るものがあった。濁っていずに澄んでいた。<br />
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　断っておくが、洲崎の印象はその時、僕の受け取った極く率直な客観であって、微塵も主観ではないということである。平たく云えば、僕は一向その時色気を兆していないのに、町全体、家々に、自ら色気があって、それが感じられるという意味。<br />
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　すると、飛躍して人が色っぽくなろうが為めには、新宿や吉原等等職業地よりも、洲崎は湯治絶対のコンディションに置かれていたものかもしれないと思う。しかし、そう思う傍から直ぐと、これを否定にかかる客観に偽れないもののあるのは、なんとも寂しいこと、沈んでいること、滅していることである。ここの娼家の何れかの窓から廓外一円の暗い水でも見たならば、エロティシズム以外に、一種のニヒリズムが必ず起こるだろう。これは好ましい状態ではない。<br />
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　遠音の新内流しなどというものは、今でも聞きどころに依ると、昔の「イキ」の美観を回想し、微弱ながらも、それを搖りさますことのあるものだ。しかし洲崎の蘭燈影暗い二階座敷かなんかで新内流しを聴けば、かえってこれは里心を付け、逆効果になるだろうと思う。まして支那そばのラッパなどを聴けば魂ごと寒くなりそうである。<br />
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　はっきり云えば、洲崎は東京の中の「一つのイナカだ」と考えて、始終辻褄が合う様に思われた。この僕の独断が間違わなければ、誰に京にいなかありと云う通り、こういう特殊区域が今どき都心をそう離れない場所に比較的のんびりと遺存するのは面白いモードである。]]> 
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            <name>ノスタルジック時間旅行</name>
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    <published>2023-06-12T21:50:51+09:00</published> 
    <updated>2023-06-12T21:50:51+09:00</updated> 
    <category term="広島" label="広島" />
    <title>一、広島とは何であるか【昭和5年「大広島の創造」より】</title>
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      <![CDATA[この文章は、昭和5年に発行された「大広島の創造」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。<br />
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一、広島とは何であるか<br />
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　抑広島を振興せしめ発展せしむるには如何になるべきかと云えば、先ず広島とは何であるかを明らかにせねばならぬ。<br />
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　広島とは、この広島の土地と、この広島の人と、即ちこれである。然らば広島振興の問題は、この土地を如何にするか、この人を如何にすべきかと云う問題である。<br />
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　この人の問題は、主としてまずこの人を、より以上に知徳あり強健な者にする事であるから、これは一般的に教育訓練の問題である。然らば不通に広島振興策と云えば大体に於いてこの広島の土地に関する問題と申してよかろう。<br />
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　広島の土地に就いて云えば、先ず広島の土地は如何なる土地であるか、特徴は何か、短所はどれぞ、発展せしむべき美点は何か、矯正を要すべき弱点は如何等、まずこれ等を明らかにし、広島の地位、広島の広狭、広島の内容、広島の隣境、広島の後方地域、広島の素質、広島の事業、広島の富、広島の対地的関係等から、その他諸邦面に互って一般の関係を究め、而して之に対してその策を立つるにある。<br />
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　而してこれによって先ず我が広島に於いては、広島は如何に為し、如何に進むべきかと云う大方針、即ち、大広島主義の要網を確立し、これに向かって市民を挙げて一致協力あらゆる努力を払い、以て内容ある堅実な大広島を実現することを、各自市民の名誉とし、責任として奮進せねばならぬ。<br />
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　したがって我が広島人たる者は、よく其の内容、其の事実、その事業を充分に呑み込み、市民各自が皆、実行者であり、責任者である心がけを以て、いやしくも以てその振興、その発展に利益あるものは、これを取り逃がすことなく、また、その害となるものはこれを取り除くことに用を用いねばならぬ。<br />
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　世間には自分の欠点や自国の弱点を誇りがに公言し、自家の不詳をさらし、お互いの悪口をして平気で居り、或いは以て自ら快しとするものがある。みだりに自己の短所をかくすにも及ぶまいが、自国の美点、特長等は自ら先ず充分諒解して、これを他国の人にも知らしめ、他人をして自然とこれを敬遠し、尊重せしむる注意は、いやしくも市を愛する者の決して常に忘れてはならぬところである。<br />
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　故にいつでも他地の人と話をするときは、先ずこれこれの事は必ず説明すること、これこれの事は必ずよく知らしめ置くことを云う事柄なども、大広島主義の要網に於いてこれを明らかにし、以て市民の諒得注意を求め置くを要すると思う。<br />
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　市民の愛市の概念も、この辺より涵るることを努め、市民は皆気を備えて、大広島主義の要網に集れ、大広島に向かえよ、と誰もが進行曲を奏して一斉更新する心がけを以て常に鋭意に努力すべきのみならず、出入談話にもこれに関する注意を怠らないようにしたいと思う。<br />
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